240402
○花尾カンツリーといふゴルフ場の入り口にある電線周りの木を伐採す。
天気もよく快適に仕事す。
午前で終わった。
この労働はその点がよい。
終わったらその時点で解散だ。
単発仕事なら時間一杯かかることは逆に希であり大概早く帰れる。
私は疲れているのでゆくり入浴した。
あとは忘却の彼方でもないがまあ、思い出さなくても良かろう。
この際
此度のワイルドチルンのいごきについてあくまでも私から見たバンド結成当時からの成り行きを簡単ながら書き記しておきたい。それちげえだろとふたりは想う箇所もあるかもしれない。
以前に書いたことがまた重複といふことにもなろうかと思うが。
確か2015年の年末あたりに梅田亜土氏からこのメンバーでバンドをやってみてくれないかと云われた。他にウッドカッターズといふのを岡地氏、江口氏、井上氏と組んでいたので正直に言ってそちらに気が向いており全く乗り気ではなかった。そういふなら一回くらいと思いリハをやってみたらこれが案外胸のすくようなサウンドで結句そのうちワイルドチルンに気持ちが傾いてしまった。当初はW.C.カラス&WILD CHILLUNと名乗ったはずだ。
ウッドカッターズは短期間に自然消滅となっていった。
私は当時タイトなバンドを求める気持ちになっておりジャムバンド傾向にあったウッドカッターズよりもリハをちゃんとやるワイルドチルンに自然力が入るようになったのもある。
それでもそれは「たまにやるバンド」でありそれまで通りあくまでもソロ活道を中心に動いていた。実際年に二三度のライヴが関の山であった。それでもたまにだから尚更なのだろう、私はワイルドチルンを楽しんでいた。
そのうち知花がアメリカに行くことになったといふので解散或いは残りのメンバーでささやかに続けるかみたことになった。一区切りついたと思ったのだが、知花のアメリカ移住は突如キャンセルとなったのである。当初から思い出づくりに簡易な録音物を残す予定だったがならばと本格的なレコーディングに移行したのである。アルバムを出すとなるとツアーを組まねばならん。本格的にバンドはいごき始めた。ソロ活でも数年前ほどお客が来なくなった私はバンドでもって人気者になるといふ希望を持っていた。本気でそんな風に考えられた期間は皆が想う程実は短くはなくてつい最近までなにが起こるかわからないといふ希望的観測を心には秘めていたのである。おめでたいやつだとは思わない。そうしないとやれない。こないだから書いた苦しみに耐えられるわけがない。お金は小遣い程度も入らないしライヴは不入り続きそんなバンドは普通は活動停止に気が向くところだが皆そうやって一縷の望みを懐くことによりなんとか続けられるのである。不成功バンドは時にメンバーの人生を狂わすこともある。いや、バンドをやり始めただけでそれは狂っているといえるのだろう。私がもし若かったらきっと恐ろしい苦しみにまみれていたにちがいない。ところが年かさのいっている私は苦しみも味わうが楽し、みたなそんな心境になるのが得意技のある意味舐めた人間であるから心の方は平気であった。コナロもどうせ平生から不入りであったから人数制限の上の満席になってわりと気分は良かったのである。それが皆また活動し始めると元に戻ってジロキチでさえ一桁しか客が来なかった時には流石の私もがっかりしていた。
あとは詳しくは書かないがドラムがふたりも抜けたのはいろんな要因があるとは云えどちらも私がそのトリガーを引いたのである。
3人になった時には正直に申せば少し潮時かなとは思った。しかしながらやってみたら案外手応えがあって今までなんとかやって来たのである。みんな辞めようと言わなかったからなんとなくやっていたといふ感もある。
そしてこの度の終焉への流れとなった要因は私が強く浪曲に傾倒したからでありきっかけは眠気である。
元々私は浪曲は好きであった。特に廣澤虎造は以前よりよく聞いていた。後日浪曲の魅力や私がやろうとしていることについてはしっかり書きたい。それで眠気についてだが、なんとなく雰囲気は伝わる方もいらっしゃるだろう、他のふたりは車中ではほぼ無言である。それは私がおもろいことを云わなくてフィーリングも合わないし付き合いきれないから私にたいしてだけそうなのかどうかは知らないが。私はそれについて不満を述べたりディスったり咎める気なぞ一切ないし寝ていてくれた方がこちらも気を遣う必要はなく精神が楽であるから全く問題ない。私は孤独を好む。しかしながら眠気が必ず襲ってくる。私ひとりならシャウトの訓練やら今なら浪曲の練習等して全く眠くならない。ところがツアーでは私だけではないので奇声を発するわけにもいかず黙っているしかない。となると猛烈な眠みがやってくるのである。それで私はまず小説の朗読を聞くようになった。頭に景色を思い浮かべ登場人物たちの苦しみや楽しみや悲しみ怒りなんかを想像すると眠くならない。そのうち朗読はほぼ聞き漁ってしまった。ならばと浪曲を思い付いたのである。それで私ははまってしまった。次第に自分でもやりたくなるのが私といふ人間である。このブログで知れているだろう、全力を傾けるようになっていった。
元々近々区切りをつけたいと思っていた私は解散も辞さないような気持ちで浪曲に強く影響を受けたようなスタイルを確立していきたい旨伝えた。私は時間はそこにしか遣いたくない。大事業なのである。
予想通り知花は不同意であった。当たり前である。ポップミュージックを愛しているから音楽家になっているのでありそれをいきなり浪曲調とは受け入れられるわけがないだろう。それでも私はやりたいのでこれは致し方ない。私がそこを我慢してバンドを続けるなぞ双方に取って大変な不幸である。
これは私の我が儘であろうかと思ったりもしたが、私の人生である。咎められようがなんだろうがやりたいものはやりたい。
私はそれだけの思いを持っているから強いものをクリエートするだろう。おかやんがベースを弾いてやると言っている。それも面白そうだ。どんな展開になるのか楽しみにしていてほしいが、まず人気は益々、
無くなるだろう。それでもやりたいものはやりたい。それだけだ。
これまでのキャリアはあまり役に立たんかもしれないが、棄てるものはさらりと軽やかに棄てていかねばならん年頃である。
天気もよく快適に仕事す。
午前で終わった。
この労働はその点がよい。
終わったらその時点で解散だ。
単発仕事なら時間一杯かかることは逆に希であり大概早く帰れる。
私は疲れているのでゆくり入浴した。
あとは忘却の彼方でもないがまあ、思い出さなくても良かろう。
この際
此度のワイルドチルンのいごきについてあくまでも私から見たバンド結成当時からの成り行きを簡単ながら書き記しておきたい。それちげえだろとふたりは想う箇所もあるかもしれない。
以前に書いたことがまた重複といふことにもなろうかと思うが。
確か2015年の年末あたりに梅田亜土氏からこのメンバーでバンドをやってみてくれないかと云われた。他にウッドカッターズといふのを岡地氏、江口氏、井上氏と組んでいたので正直に言ってそちらに気が向いており全く乗り気ではなかった。そういふなら一回くらいと思いリハをやってみたらこれが案外胸のすくようなサウンドで結句そのうちワイルドチルンに気持ちが傾いてしまった。当初はW.C.カラス&WILD CHILLUNと名乗ったはずだ。
ウッドカッターズは短期間に自然消滅となっていった。
私は当時タイトなバンドを求める気持ちになっておりジャムバンド傾向にあったウッドカッターズよりもリハをちゃんとやるワイルドチルンに自然力が入るようになったのもある。
それでもそれは「たまにやるバンド」でありそれまで通りあくまでもソロ活道を中心に動いていた。実際年に二三度のライヴが関の山であった。それでもたまにだから尚更なのだろう、私はワイルドチルンを楽しんでいた。
そのうち知花がアメリカに行くことになったといふので解散或いは残りのメンバーでささやかに続けるかみたことになった。一区切りついたと思ったのだが、知花のアメリカ移住は突如キャンセルとなったのである。当初から思い出づくりに簡易な録音物を残す予定だったがならばと本格的なレコーディングに移行したのである。アルバムを出すとなるとツアーを組まねばならん。本格的にバンドはいごき始めた。ソロ活でも数年前ほどお客が来なくなった私はバンドでもって人気者になるといふ希望を持っていた。本気でそんな風に考えられた期間は皆が想う程実は短くはなくてつい最近までなにが起こるかわからないといふ希望的観測を心には秘めていたのである。おめでたいやつだとは思わない。そうしないとやれない。こないだから書いた苦しみに耐えられるわけがない。お金は小遣い程度も入らないしライヴは不入り続きそんなバンドは普通は活動停止に気が向くところだが皆そうやって一縷の望みを懐くことによりなんとか続けられるのである。不成功バンドは時にメンバーの人生を狂わすこともある。いや、バンドをやり始めただけでそれは狂っているといえるのだろう。私がもし若かったらきっと恐ろしい苦しみにまみれていたにちがいない。ところが年かさのいっている私は苦しみも味わうが楽し、みたなそんな心境になるのが得意技のある意味舐めた人間であるから心の方は平気であった。コナロもどうせ平生から不入りであったから人数制限の上の満席になってわりと気分は良かったのである。それが皆また活動し始めると元に戻ってジロキチでさえ一桁しか客が来なかった時には流石の私もがっかりしていた。
あとは詳しくは書かないがドラムがふたりも抜けたのはいろんな要因があるとは云えどちらも私がそのトリガーを引いたのである。
3人になった時には正直に申せば少し潮時かなとは思った。しかしながらやってみたら案外手応えがあって今までなんとかやって来たのである。みんな辞めようと言わなかったからなんとなくやっていたといふ感もある。
そしてこの度の終焉への流れとなった要因は私が強く浪曲に傾倒したからでありきっかけは眠気である。
元々私は浪曲は好きであった。特に廣澤虎造は以前よりよく聞いていた。後日浪曲の魅力や私がやろうとしていることについてはしっかり書きたい。それで眠気についてだが、なんとなく雰囲気は伝わる方もいらっしゃるだろう、他のふたりは車中ではほぼ無言である。それは私がおもろいことを云わなくてフィーリングも合わないし付き合いきれないから私にたいしてだけそうなのかどうかは知らないが。私はそれについて不満を述べたりディスったり咎める気なぞ一切ないし寝ていてくれた方がこちらも気を遣う必要はなく精神が楽であるから全く問題ない。私は孤独を好む。しかしながら眠気が必ず襲ってくる。私ひとりならシャウトの訓練やら今なら浪曲の練習等して全く眠くならない。ところがツアーでは私だけではないので奇声を発するわけにもいかず黙っているしかない。となると猛烈な眠みがやってくるのである。それで私はまず小説の朗読を聞くようになった。頭に景色を思い浮かべ登場人物たちの苦しみや楽しみや悲しみ怒りなんかを想像すると眠くならない。そのうち朗読はほぼ聞き漁ってしまった。ならばと浪曲を思い付いたのである。それで私ははまってしまった。次第に自分でもやりたくなるのが私といふ人間である。このブログで知れているだろう、全力を傾けるようになっていった。
元々近々区切りをつけたいと思っていた私は解散も辞さないような気持ちで浪曲に強く影響を受けたようなスタイルを確立していきたい旨伝えた。私は時間はそこにしか遣いたくない。大事業なのである。
予想通り知花は不同意であった。当たり前である。ポップミュージックを愛しているから音楽家になっているのでありそれをいきなり浪曲調とは受け入れられるわけがないだろう。それでも私はやりたいのでこれは致し方ない。私がそこを我慢してバンドを続けるなぞ双方に取って大変な不幸である。
これは私の我が儘であろうかと思ったりもしたが、私の人生である。咎められようがなんだろうがやりたいものはやりたい。
私はそれだけの思いを持っているから強いものをクリエートするだろう。おかやんがベースを弾いてやると言っている。それも面白そうだ。どんな展開になるのか楽しみにしていてほしいが、まず人気は益々、
無くなるだろう。それでもやりたいものはやりたい。それだけだ。
これまでのキャリアはあまり役に立たんかもしれないが、棄てるものはさらりと軽やかに棄てていかねばならん年頃である。