250428
まだ疲れていた。
だが食欲だけは止まらない。
鱈腹喰らう。
浅草に行こうと思っていたのだがやめた。酒は抜かねばなるまい。
アリ・ファルカ・トゥーレを聴いていた。
日本の音階、旋律について
昔のこの国の学者は西洋の学問をやってきているので大体、和は下等だという先入観念がある。この国のひとびとは度を越して外国のものを有難がる。海外サイコーみたな感じだ。
日本の音楽は西洋音楽の概念には当てはまらないからまだ整理されていないプリミティブなものと思われていたそうだ。
これは間違った見方で実は大分複雑に出来ているらしい。旋法、音階はいろいろとあり浪曲なんかは一つの流れの中でそれを自由に組み合わせている。
といふことに気づくのに私はかなり時間を要した。私も西洋音楽に耳も感覚も慣らされてしまっているから何をやっていらっしゃるのかどうしてこうも自由なのにカッコいいんだ。その感じを覚えて身体に染み込ませるしか方法はないのかと考えていたほどである。
それで人間時間をかけてやれば出来るというか分かってくるものでなるほどやはりスケールがあってそいつを組み合わせているんだなと掴んだんである。そうなれば今の世の中、ネットで調べればそんなことは続々とでてくる。読めば読むほど面白い!なんと、そうだったのか!の連続だ。
そしてそれはやはり外国由来のものなのである。外国をありがたがってくれてありがとう!ご先祖様たち。
実は土着なんて多分なくて土着と呼ぶのは何年そこにあったかといふ基準さえないのだろう。
例えば律旋法といふ雲月節の根幹をなしているスケールがあるがそれはヨナ抜きのミの音をファに変えただけで、でもそうやるとえ!なんじゃこりゃ!最高じゃん!カッケーとなるから昔のひとも絶対にそうだったのだ。
律旋法は後白河法皇が持ち込んだといわれていてこの人は今様を重んじた。今様とはつまり現代的といふか斬新さで えー!なにこれ!このサウンド!新しいね!カッケーからOK!イケてんじゃん!もうサイコー!みたな。
それでその律旋法は君が代である。
なんでか言葉の意味さえ分からない時分から国歌だといわれたから歌ってみたがなんかそこ知れぬ快感が確かにあるよね。国家は国歌でひとを心酔させるのである。下がりたがる旋法であってそいつが人間の心をなぜだが厳かな方面に向かわせる。(人間の心と旋律についても研究はなされているがまだまだ途上だ)
そいでそいつをまた最後の音AをBフラットに替えますとまたガラッと世界が変わり虎造節で良く使われる感じになる。ちょうど時間となりました!である。それは陽旋法と呼ばれるスケールだ。雲月節はこの2つを絶妙に組み合わせていてだからなんかブルースみたいに聞こえたり演歌みたいに聞こえたりするんである。
小室哲哉がどうやらそのへん分かっているみたいで巧みに取り入れている。
疲れたから今日はこの辺で
でもほんとに日本音楽面白い。
わたしは夢中になっています。
客は来んけど音楽的な心象は充実しています。