W.C.カラスの駄々漏れ日記

W.C.カラスの日記です

240419

wckarasu
○昨日倒した大木を人間が持てる重量になるようひたすら切り刻んで運ぶ。大木を所定の場所に移動させよといふ無茶な仕事なのだ。このような仕事を受けるなぞあり得ない。牛馬のごときに苦しい現場であった。

帰 SM 入浴

夜はん またほたるいか 今日はすこぶる安くキロ340円也 ほかいわしの酢煮 小松菜豆腐お付け

なにかライヴの予定が少なくなっているのではないかといってくるひとがいる。
その通りだ。
わたしはいまは積極的になれない。
過渡期にいるのである。
決してフェイドアウトするといふことではない。

最早気持ちはR&Bにしかむいていない。
つまり浪曲&ブルースだ。

ただしどちらも擬きである。
本物の浪曲師になるとかあり得ないしそんなことをいったら必ず小ゆきねえさんに張り倒されるのであり(勝手な想像だが張り倒されたい気もする。)ブルースなぞは私が口酸っぱくいっているようにアメリカ黒人がやるからそのブルースといふものになるのであって私がどんなにオーソリティーになってもそれは覆すことは論理的にまたあり得ないのである。

だから正確にいふとR(浪曲に強く影響を受け浪曲のフォーマットを利用した私独自の私の芸能)&B(ブルースに強く影響を受けブルースのフォーマットを利用した私独自の私の楽曲)といふことになるのである。

それについて私にはドクドクと湧いて出てくるように構想があり、それをまとめあげるのにまず相当な労力を必要とするし、またそれをパフォーマンスに昇華させるなぞあるいは半年、いや一年、いや一生かかるかもしれない大事業となる予感さえあるのである。

それが、だから、ふにゃふにゃのままでいまはなんとかみきり発車でやっているからそれは積極的になれないといふのもわかってもらえるだろうか。

しかしながらそんなこともいってはいられない。私はやりたい。なんかこうもう少しで何かを掴めそうなところまで来ているのは確かだ。

だから先ほど申した通り
気持ちはR&Bにしか向いていなくて
だらだらと今までやってきた楽曲だけをただ駄々漏れにやり続けるなぞいふみっともないライヴを私はやりたくないのである。

ライヴには必ずやる側にスパークがないとダメである。そうでないと観る側に点火はあり得ない。



人生も残り少ないのに過渡期を創るのはどうかとも思うがその時間は私にとって掛け替えのないことにかわりはないのである。